
2017年09月22日
旭少年野球クラブ解散。ライジングサン駅伝大会について。
お久しぶりです。このブログを見てくださっている皆様に残念なお知らせがあります。。
【旭少年野球クラブ解散についてのお知らせ】
旭少年野球クラブ
会長 斉藤 正史
監督 牛島 重憲
拝啓 新秋の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
日頃より旭少年野球クラブの活動に格段のご厚情を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、旭小学校開校百周年を機に、当時の旭小学校PTAが中心となり創部した旭少年野球クラブは、平成29年8月19日の臨時総会をもってその活動を停止し、同日付けで解散しましたのでお知らせ致します。
昭和50年5月の創部に始まり、昭和51年3月には最初の卒回生を、そして平成29年3月には428人目となる42回生を送り出しました。この間、地域の皆様からは多大なご支援を賜りましたし、また校区外の多くの方々にも当クラブの活動に関わって頂きました。その一つ一つが42年に渡る当クラブの歴史であることを思うと、築き上げげられたものの大きさに感嘆するばかりです。一方で、それだけの素晴らしい存在を後代に引き継ぐことができなかったことが只々残念でなりません。
少年野球チームとしての旭少年野球クラブは解散を迎えましたが、12歳から54歳までのOB一人一人の中には、きっと旭少年野球クラブならではの共通する精神性が培われているものと思います。その大切な部分を、ぜひ次代の人材に引き継いで頂けたらと願っています。
最後に、42年間に渡る旭少年野球クラブの活動を陰に陽に支え、見守ってくださった全てのみなさまに深謝申し上げます。
なお厳しき折にて、くれぐれもご自愛ください。
敬具
【ライジングサン駅伝大会についてのお知らせ】
ライジングサン駅伝大会実行委員会
会長 志岐 豪勇
拝啓 初秋の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
年明け恒例のライジングサン駅伝大会の開催にあたりましては、平素よりご理解ならびに多大なるご支援を賜り、厚くお礼申し上げます。
例年、暑さが少し和らぎはじめるこの時季より、旭少年野球クラブ、旭ジュニアバレーボールクラブ、旭フットボールクラブの3チームの代表により次回大会に向けた議論を開始し、1月の大会開催のための準備に努めておりました。しかしながら本年4月以降、旭少年野球クラブの
運営体制が揺らいでしまい、大会開催が困難な状況に陥っていました。そこで、9月1日に各チーム代表者による会議を開催し、来年1月に予定しておりました第34回大会は開催しないことを決定しましたのでお知らせ致します。次回大会での活躍を目標に各チームでのトレーニングに励んでいる児童、特に小学生最後のライジングサン駅伝大会こそはと意気込んでいたであろう6年生には、その活躍の機会を提供することができず、たいへん申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。
さらに同日の会議では、8月19日付での旭少年野球クラブ解散の報告も受けたため、本駅伝大会の在り方についても議論しました。その結果、来年度以降についても大会の開催が困難であるとの判断に至り、本年1月に開催した第33回大会をもってライジングサン駅伝大会を終了することも併せて決定致しました。
児童の健全育成と冬場の体力増進を目的として昭和60年より始めたライジングサン駅伝大会は、近年では800名を超える児童が競う大規模なものとなっていました。近隣住民の皆様には多大な迷惑をお掛けすることを承知のうえ開催のためのお願いをし、33年もの間ご協力頂いてきました。本当に感謝の念に堪えません。運営面では、旭小学校校区の父兄と、スポーツを通じた教育に熱心に取り組んで下さる近隣の先生方の手による特色あるスポーツ大会となりました。また、2世代に渡り走った親子も居られるほど、歴史を重ねた伝統の大会ともなりました。年に1日だけの大会ではありますが、学校と児童、そして地域の方々とが結びついた誇るべき教育活動の場でもあったと自負しております。それだけに、この誇るべきライジングサン駅伝大会をここで途絶えさせてしまうことは、まさに痛恨の極みとしか言いようが有りません。できることならば、関係者の皆様には、このような素晴らしい大会が開催されていたことを語り継いで頂き、引き続き地域の中で児童を見守って頂けたらと願うばかりです。
最後に、33年に渡ったライジングサン駅伝大会に関わって下さった、選手を含む全ての皆様に感謝申し上げるとともに、ますますのご発展を心より祈念いたします。
敬具
ここからは、このブログを書いていた私の言葉となります。
物心ついたころから旭少年野球クラブは私の中で特別な存在でした。
兄が旭少年野球クラブに入っていて、その時から牛島監督のことを知っていました。
通称『牛ごり』(笑)
熱く、厳しく、特に冬場は、走る、走る、走る。旭少年OBなら誰しもがそう口にすると思います。
牛ごりキャンプ、ライジングサン駅伝大会、日々の練習、、、。
当時は、牛島監督の他に、監督と呼ばれている方が数名おり(今でいう○○コーチ、の感じだとは思いますが
)、
うちの父も監督をしていました。小学校では「監督の娘」と呼ばれることも(笑)
練習をいつもみて、試合の応援にも行き、キャンプやイベントにもついていき、駅伝では兄が走るのを応援し、
牛島監督はじめ、みなさんに可愛がっていただき、、、
その頃から旭少年野球クラブは私にとって特別なものでした
結婚して、子供ができ、地元に戻ってきた私は、
子供には絶対野球をさせたい。
野球をさせるなら絶対旭少年野球クラブがいい!
牛島監督健在!!すごい!!うれしい!!ユニフォームも変わってない!!
そう思い、、長男が小学校入学してすぐに旭少年野球クラブに入部
当の本人は全然野球に興味はなく、毎日が虫とり(笑)
監督の頭に海苔をのせたり、「座れ」と言われて監督のお膝の上に座ったり(笑)
問題児も問題児だったけど、そんな長男をとても可愛がってくださいました
「てっぺ~~
」 と言いながら、長男をおいかけまわす監督の姿を見るのが大好きでした。
そんな長男も大きくなり、5年生になったときには6年生が一人もいない状況だったので、5年生11人が当時の旭をひっぱっていく!という感じでした。
それまでも毎日グランドに行き、監督とお話をしてたけど、自分の子が一番上の代になってからは、より深く監督と話すようになりました。
監督が大好きで、監督の笑顔が見たくて、監督が喜んでくれるようなサプライズを考えたり、止まっていた伝統行事を復活させたり、、、
みんなが協力してくれたおかげで、たくさんの思い出を監督と一緒に作ることができました。
6年生になった時には、佐賀県大会ベスト8にまで名を残し、九州大会第3位にまで勝ち残りました。
たくさん練習して、たくさん泣いて、たくさん勝って、たくさん負けて、うれし涙悔し涙、
大切な仲間とともに かけがえのない時間をどれほど過ごしたことか。。
子供たちも、厳しい練習にたえ、勝つ喜び、負ける悔しさを全身全霊で感じ、
3月にある黒髪山卒回式で、監督に温かい言葉をかけてもらい、よく頑張ったと褒めてもらい、そこで溢れ出る涙とともに、「旭少年野球クラブでよかった。牛島監督、ありがとうございました!」
と、心から感じることができるんだと思います。
長男、41回生。次男、たった一人の42回生。
旭少年野球クラブを卒回できたこと、心から誇りに思います。
次男に関しては、旭少年野球クラブ、最後の卒回生となりました。
本人は、
一番最後の卒回生だから、監督が喜ぶようにすごい選手になる!
有名になったら監督喜ぶよね!!
と、意気込んでおります
旭少年野球クラブOBの皆さま、旭少年野球クラブは解散となってしまいましたが、、
運営が難しくなった頃からの監督の気持ちを考えたら胸が痛くて仕方がないのですが、、、
旭少年野球クラブで培ってきた思い、仲間と過ごした軌跡、監督にしごかれた日々(笑)
一生心から消えることのない、最高の思い出とともに、これからもそれぞれの道を歩んでいきましょう。。
41回生、42回生の仲間とともに(42回生はうちだけ笑)、これからも牛島監督にちょこちょこ会いにいく事を誓います
(笑)
監督が、このブログを見ることがあるかもしれないので、、、
OBの皆さま、監督へたくさんのメッセージをお待ちしております、、☆
最後に、私がこの旭少年野球クラブで作らせていただいた動画と、40周年記念の時の動画を載せたいと思います。
38回生
旭少年40周年記念~牛島監督の40年~
40周年記念式典・レセプション・OB野球大会
41回生
卒回式用
思い出用
42回生
卒回式用
思い出用


















監督に帰れと言われました。どうしたらいいですか??
と、我が家に帰ってきた子供たち。 果てしなく可愛いかった。。(笑)










牛島監督、42年間、本当にありがとうございました

暑い日も寒い日も、毎日グランドで子供たちを見てくれていたこと、一生忘れません。
監督の隣で、監督の話を聞くことが何よりの楽しみでした
子供たちも、厳しい練習の合間合間にある監督の笑顔、笑い声が大好きでした
牛島監督に教わったことを忘れずに、素晴らしい大人になってくれることを心から願っています。。
【旭少年野球クラブ解散についてのお知らせ】
旭少年野球クラブ
会長 斉藤 正史
監督 牛島 重憲
拝啓 新秋の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
日頃より旭少年野球クラブの活動に格段のご厚情を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、旭小学校開校百周年を機に、当時の旭小学校PTAが中心となり創部した旭少年野球クラブは、平成29年8月19日の臨時総会をもってその活動を停止し、同日付けで解散しましたのでお知らせ致します。
昭和50年5月の創部に始まり、昭和51年3月には最初の卒回生を、そして平成29年3月には428人目となる42回生を送り出しました。この間、地域の皆様からは多大なご支援を賜りましたし、また校区外の多くの方々にも当クラブの活動に関わって頂きました。その一つ一つが42年に渡る当クラブの歴史であることを思うと、築き上げげられたものの大きさに感嘆するばかりです。一方で、それだけの素晴らしい存在を後代に引き継ぐことができなかったことが只々残念でなりません。
少年野球チームとしての旭少年野球クラブは解散を迎えましたが、12歳から54歳までのOB一人一人の中には、きっと旭少年野球クラブならではの共通する精神性が培われているものと思います。その大切な部分を、ぜひ次代の人材に引き継いで頂けたらと願っています。
最後に、42年間に渡る旭少年野球クラブの活動を陰に陽に支え、見守ってくださった全てのみなさまに深謝申し上げます。
なお厳しき折にて、くれぐれもご自愛ください。
敬具
【ライジングサン駅伝大会についてのお知らせ】
ライジングサン駅伝大会実行委員会
会長 志岐 豪勇
拝啓 初秋の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
年明け恒例のライジングサン駅伝大会の開催にあたりましては、平素よりご理解ならびに多大なるご支援を賜り、厚くお礼申し上げます。
例年、暑さが少し和らぎはじめるこの時季より、旭少年野球クラブ、旭ジュニアバレーボールクラブ、旭フットボールクラブの3チームの代表により次回大会に向けた議論を開始し、1月の大会開催のための準備に努めておりました。しかしながら本年4月以降、旭少年野球クラブの
運営体制が揺らいでしまい、大会開催が困難な状況に陥っていました。そこで、9月1日に各チーム代表者による会議を開催し、来年1月に予定しておりました第34回大会は開催しないことを決定しましたのでお知らせ致します。次回大会での活躍を目標に各チームでのトレーニングに励んでいる児童、特に小学生最後のライジングサン駅伝大会こそはと意気込んでいたであろう6年生には、その活躍の機会を提供することができず、たいへん申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。
さらに同日の会議では、8月19日付での旭少年野球クラブ解散の報告も受けたため、本駅伝大会の在り方についても議論しました。その結果、来年度以降についても大会の開催が困難であるとの判断に至り、本年1月に開催した第33回大会をもってライジングサン駅伝大会を終了することも併せて決定致しました。
児童の健全育成と冬場の体力増進を目的として昭和60年より始めたライジングサン駅伝大会は、近年では800名を超える児童が競う大規模なものとなっていました。近隣住民の皆様には多大な迷惑をお掛けすることを承知のうえ開催のためのお願いをし、33年もの間ご協力頂いてきました。本当に感謝の念に堪えません。運営面では、旭小学校校区の父兄と、スポーツを通じた教育に熱心に取り組んで下さる近隣の先生方の手による特色あるスポーツ大会となりました。また、2世代に渡り走った親子も居られるほど、歴史を重ねた伝統の大会ともなりました。年に1日だけの大会ではありますが、学校と児童、そして地域の方々とが結びついた誇るべき教育活動の場でもあったと自負しております。それだけに、この誇るべきライジングサン駅伝大会をここで途絶えさせてしまうことは、まさに痛恨の極みとしか言いようが有りません。できることならば、関係者の皆様には、このような素晴らしい大会が開催されていたことを語り継いで頂き、引き続き地域の中で児童を見守って頂けたらと願うばかりです。
最後に、33年に渡ったライジングサン駅伝大会に関わって下さった、選手を含む全ての皆様に感謝申し上げるとともに、ますますのご発展を心より祈念いたします。
敬具
ここからは、このブログを書いていた私の言葉となります。
物心ついたころから旭少年野球クラブは私の中で特別な存在でした。
兄が旭少年野球クラブに入っていて、その時から牛島監督のことを知っていました。
通称『牛ごり』(笑)
熱く、厳しく、特に冬場は、走る、走る、走る。旭少年OBなら誰しもがそう口にすると思います。
牛ごりキャンプ、ライジングサン駅伝大会、日々の練習、、、。
当時は、牛島監督の他に、監督と呼ばれている方が数名おり(今でいう○○コーチ、の感じだとは思いますが

うちの父も監督をしていました。小学校では「監督の娘」と呼ばれることも(笑)
練習をいつもみて、試合の応援にも行き、キャンプやイベントにもついていき、駅伝では兄が走るのを応援し、
牛島監督はじめ、みなさんに可愛がっていただき、、、
その頃から旭少年野球クラブは私にとって特別なものでした

結婚して、子供ができ、地元に戻ってきた私は、
子供には絶対野球をさせたい。
野球をさせるなら絶対旭少年野球クラブがいい!
牛島監督健在!!すごい!!うれしい!!ユニフォームも変わってない!!
そう思い、、長男が小学校入学してすぐに旭少年野球クラブに入部

当の本人は全然野球に興味はなく、毎日が虫とり(笑)
監督の頭に海苔をのせたり、「座れ」と言われて監督のお膝の上に座ったり(笑)
問題児も問題児だったけど、そんな長男をとても可愛がってくださいました

「てっぺ~~


そんな長男も大きくなり、5年生になったときには6年生が一人もいない状況だったので、5年生11人が当時の旭をひっぱっていく!という感じでした。
それまでも毎日グランドに行き、監督とお話をしてたけど、自分の子が一番上の代になってからは、より深く監督と話すようになりました。
監督が大好きで、監督の笑顔が見たくて、監督が喜んでくれるようなサプライズを考えたり、止まっていた伝統行事を復活させたり、、、
みんなが協力してくれたおかげで、たくさんの思い出を監督と一緒に作ることができました。
6年生になった時には、佐賀県大会ベスト8にまで名を残し、九州大会第3位にまで勝ち残りました。
たくさん練習して、たくさん泣いて、たくさん勝って、たくさん負けて、うれし涙悔し涙、
大切な仲間とともに かけがえのない時間をどれほど過ごしたことか。。
子供たちも、厳しい練習にたえ、勝つ喜び、負ける悔しさを全身全霊で感じ、
3月にある黒髪山卒回式で、監督に温かい言葉をかけてもらい、よく頑張ったと褒めてもらい、そこで溢れ出る涙とともに、「旭少年野球クラブでよかった。牛島監督、ありがとうございました!」
と、心から感じることができるんだと思います。
長男、41回生。次男、たった一人の42回生。
旭少年野球クラブを卒回できたこと、心から誇りに思います。
次男に関しては、旭少年野球クラブ、最後の卒回生となりました。
本人は、
一番最後の卒回生だから、監督が喜ぶようにすごい選手になる!
有名になったら監督喜ぶよね!!
と、意気込んでおります

旭少年野球クラブOBの皆さま、旭少年野球クラブは解散となってしまいましたが、、

運営が難しくなった頃からの監督の気持ちを考えたら胸が痛くて仕方がないのですが、、、

旭少年野球クラブで培ってきた思い、仲間と過ごした軌跡、監督にしごかれた日々(笑)
一生心から消えることのない、最高の思い出とともに、これからもそれぞれの道を歩んでいきましょう。。

41回生、42回生の仲間とともに(42回生はうちだけ笑)、これからも牛島監督にちょこちょこ会いにいく事を誓います

監督が、このブログを見ることがあるかもしれないので、、、
OBの皆さま、監督へたくさんのメッセージをお待ちしております、、☆
最後に、私がこの旭少年野球クラブで作らせていただいた動画と、40周年記念の時の動画を載せたいと思います。
38回生
旭少年40周年記念~牛島監督の40年~
40周年記念式典・レセプション・OB野球大会
41回生
卒回式用
思い出用
42回生
卒回式用
思い出用













監督に帰れと言われました。どうしたらいいですか??
と、我が家に帰ってきた子供たち。 果てしなく可愛いかった。。(笑)






暑い日も寒い日も、毎日グランドで子供たちを見てくれていたこと、一生忘れません。
監督の隣で、監督の話を聞くことが何よりの楽しみでした

子供たちも、厳しい練習の合間合間にある監督の笑顔、笑い声が大好きでした

牛島監督に教わったことを忘れずに、素晴らしい大人になってくれることを心から願っています。。

Posted by RYO at
11:51
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